2025/3/10更新
わかりませんでした。
今の自分には結論を出すことができませんでした。
なぜ考えていたのか。
ものつくりの道を進もうと考えた時に、良いものをつくりたいと思いました。しかし、良いものの正体がわからなければ良いものをつくることが出来ないと考えました。そこから私は事あるごとにその疑問ばかりが浮かんでくるようになりました。ただひたすらに自分が良いと思ったものを追いかけました。しかし、世の中はそんなことに興味はなく、ものではなくシステムやデータに価値を見出すようになっていきました。技術の進歩は喜ばしいことです。
芸術や音楽や自然の中に入っていき自分なりの答えを求めました。しかし、探せば探す程にその気持ちは薄れていき、逆の方向へと向かっていきました。良いものをつくることができても必要とされなければそれはただのがらくたなのではないかと考えるようになりました。毎日使うような生活道具であったり仕事道具は私が求めていた良いもなのではないかと考えるようになりました。ものを造るための道具こそ良いものなのではないかと考え始め、アナログであればある程に惹かれてしまいます。シンプルに人間の技術が反映される道具はとても魅力的で引き込まれてしまいます。そして、自分が愛用している道具を使って試行錯誤して作ったものこそが良いものなのではなかと考えています。ものつくりという枠からはみ出して、まったく別の次元に到達することによって、自分がフォーカスしていたことが狭すぎる世界だったのかもしれないと今は思っています。良いものを知るためには良い存在にならなくては、良いものはわからないと考えます。しかし、コレは勝手な決めつけなので、これからも探求心を持って常に形にとらわれず変化しながら進みたいと思います。何よりも良いものを知ることが最終目標ではなく、造りつづけることが重要なのではないかと考えています。